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2006.11.05

小学校に英語がやってくる?~教室で何が起きているか

 NHK教育で、表題のような番組をやっていた。小学校での英語教育が話題となっている。韓国の事情についても取材していたが、塾での教育に期待し、小学校の教師には期待していない。ネイティヴの先生の配置を、という親たちの反応は日本と同じだ。「エ~トはいらん」という大手駅前留学学校と同じようである。ただし、教材開発や、メソッド開発については、日本を凌いでいるようにも見えた。
 日本が、国際理解、あるいはコミュニケーション能力を磨くための「英語教育」に方向転換してから久しい。昭和41年、実に40年近くも前のことである。中学英語の変化も劇的であった。それまでは、課を追うに従って文法を体系的に整理してあり、実に論理的であった。間接話法の課、不定詞の課、関係代名詞の課、というように理路整然と進んでいく。それが、中学3年になるときに突然崩れてとまどった。今の50代半ばの人は、そのギャップを義務教育でみな体験しているはずである。いまだに教科書の体裁が頭に浮かんでくる。
 高校英語でも、文化放送の「百万人の英語」がトレンドであった。「英文和訳」「和文英訳」「英作文」。ただのノスタルジーだが、実に充実した時間であった。「これ、英語で何ていうんだろ~」、などと考えるようにしているのは、当時からの習慣。それにしても、若い頭でないと抽象語彙は、特に何度辞書を引いても忘れるのが悲しい。中学校程度の英語で、「飲みたい、食いたい、泊まりたい、ほしい」程度の英語で困ったことは全然ない。もっとも現在の高校生のように、児童虐待を憂えたり、環境問題の明日を語るなど夢のまた夢。
 いまの子供たちより「日本語」のベースがしっかりしていたとは思う。本もたくさん読まされたし。だから、文章には案外強いが、会話となるとなかなか。さて、これからの小中学校英語をどのように論ずるか、難しい課題である。その「なかなか」の先生が教えるわけで、いささか心細い。
 言語は、常に文化の背景を持つ。他国を侵略し、日本語の使用を強要した「日本」という国は、他国に侵略されたことはない。強要の事実は、都合よく日本の教科書にも載っていない。中国や韓国が日本のことを悪く書くなどとはいえる立場にない。いまこそ、言語について論ずることが求められているはずである。


2006.11.04

巨大なる中国

 最近、中国に関する本を読む機会が多い。中国語はいくらやっても身に付かないということがよくわかったが、歴史はおもしろい。特に文化大革命前後の現代史が興味深い。劉少奇、鄧小平、周恩来、蒋介石、蒋経国、そして阿片について、もっと研究したいと思う。譚lu美さんは、慶応大学出身の中国研究家。先日、NHK中国語会話にゲストとして出演していた。劉少奇の妻、冤罪に苦しむ王光美の生涯について、インタビューを重ねて著書とした。欲望と陰謀渦巻く中国の「今」に続く歴史が連綿と綴られている。そして、この10月中旬、王光美が静かに亡くなり、文革の真相を知る生き証人がまた一人消えた。
 戦争責任は、決して誰が悪いという性質のものでないが、民衆に対して言論統制されない正史を説くとくことから始めない限り、よい結果は得られない。為政者が、自己正当化を図り、そのために歴史を利用するという過ちから抜け出さない限り、真の意味での近代化など達成されるはずがない。


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